岩国半紙

  • 2012.10.05 Friday
  • 10:00
                                     2012.10.5

わし、タケちゃん。


久しぶりに、錦帯橋へ行ったん。

のんびり遊覧船がつながれとって、

なんかホッとするんよ、ここへ来ると。

やっぱり清流をみると、こころがなごむんじゃろか。



ところで、清流いやぁ、すぐ和紙のことが思い浮かぶん。

今は絶えてしもうとるが

岩国には、「岩国半紙(いわくにばんし)」いう、名高い紙があったそうで。

近松門左衛門さんいう人がかいた「心中天網島」いう人気芝居に、

「岩国の紙の仕切金・・・」いうせりふが出てくるほど有名じゃったんじゃて。


岩国藩は、小藩でのぉ、

萩の毛利家から支藩のような扱いを受けとったんじゃが

質のええ紙をせっせと作って、大阪で売りさばき、財源にしとったそうなん。

広島藩もそうじゃけど、

和紙は、農民に生産量を割り当ててつくらせ、

藩が一手に扱うとったんじゃて。

今のように自由に売り買いできんかったんじゃね。

岩国藩は、楮の植え付けを奨励するため、

「軒別三株楮」いう制度をつくって、

各家ごとにコウゾを三株植えることを義務づけとったそうじゃ。

大竹和紙もコウゾの栽培で苦労しとるけぇ、

こんな制度が今あったらラクなのにのぉ〜


岩国半紙は、昭和10年ごろまで漉かれとったいうことじゃが

技術を伝えるとる人はおらんのじゃろうか。

もったいないのぉ。


錦川の上流にある山代地方には、

「山代和紙(やましろわし)」いう歴史ある和紙があるんじゃと。

周南市の鹿野地区では、この山代和紙が今も漉かれとるんじゃ。

一度、たずねてみたいのぉ。



おまけの話じゃけど、

錦帯橋を一般の人が通れるようになったんは、

明治以降のことじゃそうで。

江戸時代は、武士や一部の商人しか、渡れんかったんじゃと。

一国一城令で城の持てんかった岩国藩にとっては、

錦帯橋は、城のようなものじゃったんじゃね。

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